【スタッフ徒然コラムNo.25】

2006年11月27日
R.comのコラムのお時間です。
みなさんこんばんは。

先月、歯医者に行くと虫歯が8本もあった事実に愕然としたのですが
地道に努力することを意識することで今日の時点で残すところ
虫歯もあと2本となり、大喜びの88Teaです。

ご存知の方もご存知ない方も、よろしくお願いします。

さて、コラムを久々に担当してしまいました。
何を書こうかと思っておりましたが
今日は皆さんに「いもけんぴ」のお話をしたいと思います。

と言いましても、「いもけんぴ」についてどこのメーカーのが美味しい、などという
HOWTOな情報を渡すわけではございません。



つい先日、とある方と一緒に車を同乗する機会がありました。
朝も早い時間でしたので、朝ごはんなどを各人コンビニで購入し
車の中で食べながら、目的地へ向かっていました。

車中ではもっぱら、パンやおにぎりを食べながらみんなでわいわいと話しておりました。

そして一通りメンバーがご飯を食べ終わった後、
隣に座っていた方がおもむろにお菓子タイムに突入しました。

そのお菓子こそ、今回のコラムの骨子になる「いもけんぴ」でした。



彼は何よりも「いもけんぴ」が大好きでした。

彼が伝える「いもけんぴ」のよさは、僕の心を充分に躍らせるものでした。

気持ち次第で食べたい「いもけんぴ」は変わると、彼は言うのです。

食後に食べたい「いもけんぴ」。
おなかが空いているときの「いもけんぴ」。
お茶と一緒に飲みたい「いもけんぴ」。
一人で部屋で食べたい「いもけんぴ」。
みんなで食べたい「いもけんぴ」。

それぞれが違う「いもけんぴ」を選ぶというのです。


そして一言。


「『いもけんぴ』」は本当によくできているお菓子です」


と彼は僕に言いました。


その間も、彼は「いもけんぴ」をリズムよく食べています。


そして、僕に「いもけんぴ」をくれました。


会話の終盤、「いもけんぴ」が食べたくて食べたくて、
今まで「いもけんぴ」をそれほど意識した自分はなかったように思います。


このとき食べた「いもけんぴ」は、何て事のない、

ただのコンビニで売っているものにしか過ぎませんでした。
でも、あからさまにおいしい部分にスポットライトを当てる自分がそこにいました。





後日、あるコンビニ。
僕はお菓子売り場に立っています。
いつもは見えていたのに見ていなかった「いもけんぴ」をしっかりと見つけた僕は、
気がつけばレジの前に「いもけんぴ」を持って並んでいたのです。


購入後、一緒にいた友人に
「いもけんぴ」のことを熱く語っていました。


この一連を改めて振り返り理解したとき、
僕はリアルコミュニケーションの真髄を見たと思ったのです。


実は今日いいたいのは、ここからです。


同乗者の彼が「いもけんぴ」が大好きだった。
そしてその「想い」を僕に伝えた。
ここにリアルコミュニケーションがあった。
価値観に基く話を僕にぶつけたからだ。

「想い」を感じた(エンパシーした)僕は、それ以後、

「いもけんぴ」を生活の意識下におくようになった。
具体的には、お菓子を選ぶときに「いもけんぴ」を選ぶ、

もしくは選ばないという選択をするようになった。

今までもずっとそこにあった「いもけんぴ」が、初めて僕の人生に「存在」を得たのだ。


リアルコミュニケーションは、価値観をぶつけ合うことで、お互いの考えの深まりがある。

さらにそれだけでなく、自分の中で選択肢を増やすことになるのだ。

選択肢を増やすということは、そこに選択する軸が必要になり、

つまり自分の価値観に基いて物事を判断する必要性が生じる。
選択しないという「選択」をしているという意識を持つのか持たないのか。
ここに、人生を主体的に生きることに繋がる何かがあるように思えてならないのだ。



とまぁ、よくわからんコラムを流します。

これを読んで「いもけんぴ」を好きになってもらったら、
まさに「想い」は連鎖するということ。

ただし、このコラムではそんなことはほとんど起こらないでしょう。
なぜなら、リアルコミュニケーションではないからです。

リアルは、想いを伝播させるのだなぁと、今回の一件で強く感じました。


ちゃんちゃん。


では、皆様、今はウィルス性の腸炎がはやっております。
気をつけてお過ごしください。






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